その道の一流のプロの専門家をありがたがるのをやめるべきなんじゃ
その道の一流のプロの専門家をありがたがるのをやめるべきなんじゃ
それに尽きると思うよ。
あと、著名とか知名度をありがたがるのはやめたほうが良いと思うけど・・。
そういういうのは、鑑賞するものであって、教育?指導?には向かないこと多いと思う。
・お話を聞いて、感銘をうける
・ちょっと練習をみてもらって、感銘をうける
・でもって、なんからの結果を出さなくてもよい
こんなかんじで数時間とかその程度でないと、だいたい、教育のプロでないと無理だと思う。
だいたいこの手のものって、教育大の付属中学とかそういう優等生が多いところで実験的に行われるので、生徒側も大人なんだよね。
でも今回の場合は、普通の公立中学?での話だと思う。
初めから、無理があると思う。
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「ありがたがる」から、なんらかの擁護もしないといけないわけで・・。
ダメなものはダメ。
「教育委員会的な指導」意外を望むのなら、義務教育・学校・教育委員会の管轄外でやるべき。
「教育委員会」がかかわってるところでは、変なことが行われないという信用のもとに子供を預けてたりするわけだから。
キレたら往復ビンタするようなところに預けてるとは思ってないわけで・・。
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音大でも許されない指導方法なんじゃ?!
往復ビンタの場合は、本当は傷害事件になるんじゃないの?
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日野皓正氏も潔くないよね。
・往復ビンタはやりすぎだったかもしれない
・大人げなかったかもしれない
・少しキレてしまった
とかが本当のところなんじゃ?
愛があれば、親子同然だから、往復ビンタしましたなんて
恥ずかしくて、僕ならいえないなぁ。
本当に愛があって親子同然なら、謝れるはず。
まあ、我が子に謝れない親も多いけど、でも多くの親は同じことをしたら
あとで、やりすぎたかな?ぐらいは思うと思うけど・・。
家庭内の教育には口を出さないでくださいとかいう話とあまり変わらないのでは?
著名人の教育には口を出すべきでないとかと結局同じになってしまうと思う。
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今回はもしかしてよかったかもしれないが、
結果論に頼るのはダメで
かつ、前例主義になりがちなので
1つでもこういうものを認めると、次も認めないといけなくなる。
それは、原発事故での安全基準と同じ。
原発事故だけ安全基準を落とすとかいうのはできないわけで
波及して、ほかも、今まで安全を強く言いすぎてコスト高になってたんだよねみたいな
話にすり替わっていくんだしね。
まあ、例外なら例外とはっきりいえばまだマシだけど
でも、例外をいえば、正当性を失うので言えない・・・。
マツコ、日野皓正の「教育委員会的な指導」は違う