ダイジェスト版イギリスのカレー史

「幻の黒船カレーを追え」を読んでも、そこにあるのはデタラメ、嘘、捏造だけです。

不幸にも「幻の黒船カレーを追え」を読んでしまった人のデトックス用に、イギリスのカレー史をダイジェストとしてまとめます。

テキストはインドカレー伝(リジー・コリンガム 河出書房新社版ハードカバー 以下ページ表示はLPxxx)、カレーの歴史(コリーン・テイラー・セン 以下ページ表示はCPxxx)。これに、若干自分の研究を交えます。

イギリスのカレーの歴史は東インド会社に始まります。17世紀に東インド会社がインドに拠点を置くようになった後、現地にイギリス人が駐留するようになります。今でいう、海外駐在商社マンのようなものです。

飛行機どころか蒸気船もスエズ運河もない時代です。喜望峰周りで帆船で行き来するしかない時代、赴任先の生活は現在と違い大変不便なものでした。

まず、イギリス本国から食料をもちこむには、輸送コストが高すぎます。そこで日常食は、現地の食材を使った現地の料理を、イギリス人好みにアレンジしたものとなりました。

また、遠く不便で危険な地に好んで移住するイギリス人女性などいないので、海外駐在員はインド人女性を妻に持つようになります。

こうして食文化においても血筋においてもインドに溶け込んだった東インド会社駐在員を、アングロインディアン(イギリス系インド人)、彼らが独自に発展させたカレーなどの料理を、アングロインディアン料理と呼ぶようになります。(LP144-150, CP30-31)

アングロインディアンカレーは、特定の地方の料理ではなく、インド各地の料理をミックスしたものでした。これは、東インド会社社員がインド各地を移動する機会が多かったからです。(LP155-160, CP45)

カレーに合わせる主食は、ナンやチャパティなどの小麦粉製品ではなく、米でした。インドカレー伝、カレーの歴史にはその理由は書いていませんが、東インド会社の主要拠点、カルカッタボンベイマドラスが米を盛んに食べる地域だったからではと、私は推測します。

1757年のプラッシーの戦い後、東インド会社は徴税などを行う現地政府的な性格を持つようになります。そこで富を得た文官が18世紀末に、イギリスに凱旋帰国するようになり、アングロインディアンカレーを持ち込むようになります。(LP169-173, CP4)

他にも様々な方法でイギリスにアングロインディアンカレーが伝わり(LP174)、18世紀のイギリスでカレーが受け入れられるようになります。

リジー・コリンガム曰く、イギリス人がカレーを受け入れたのは”イギリス料理の単調な味付け”が理由だそうです。イギリス料理がまずかったから、ということですね。(LP176)

アングロインディアンカレーは、イギリス本土で変容を受けます。スパイスを直接使うのではなく、粉末にしたミックススパイス、いわゆるカレー粉を使うようになります。(LP182-187)

インドではアーモンド、ココナッツクリーム、タマネギペーストで出した粘りを、小麦粉をつかって再現するようになります。(LP187)

こうして、遅くとも18世紀末までに、カレー粉と小麦粉を使い、タマネギをアメ色に炒めたイギリスのカレーが生まれます(この部分は私の料理本研究からです)。これが数十年後に日本に伝わるカレーです。

さて、1858年に東インド会社は廃止され、アングロインディアン文化は衰退してゆきます。新しく植民地インド帝国の文官となったイギリス人は、イギリス人の妻を娶り、スエズ運河から蒸気船で食料品を持ち込み、イギリスそのままの生活をインドで再現しました。彼らはもう、カレーを食べなくなったのです。(LP196-205, CP39-40)

衰退したアングロインディアンカレーにかわって、イギリス本土に新たなカレーの文化をもたらしたのは、バングラディッシュからの移民でした。

ベンガル(現バングラディッシュ)のシルヘット地方は、イギリス船の水夫を輩出してきた地域です。この水夫が20世紀以降、イギリスに移住しカレーレストランを開きます。(LP287-205, CP59)

1950−60年代にもシルヘットから移民が流入します。彼らはフィッシュアンドチップス店を開きます。フィッシュアンドチップス店にカレーディップがあるのはシルヘット移民の影響によるものです。やがて、シルヘット移民はフィッシュアンドチップス店からインド料理店に転業してゆきます。(LP287-205, CP59)

こうした新興のインド料理店によりチキンティッカマサラ、バルティなどの新メニューがが開発される一方(LP307, CP66-67)、イギリスの伝統的カレーやアングロインディアンカレーは衰退してゆくことになります。