マスターができるまで 久々 1390

俺が

『あそこで寝てる人の具合はどんなん?

たいした事ないん?』

と聞こうとした時、控え室から、俺の行方を探していたのか、あたりを見回すようにして母が出て来た。

母は俺の話している相手をみるとギョッとしたようになり

『ヨシヒロ!』

と叫ぶと、腕をつかんで引っ張った。

女の人はかすれた声で

『さよなら』

と言うと前のように集中治療室の中を喰いいるように凝視した。

俺が

『さよなら

早よ、ようなったらええね』

と言っても女の人は俺達の方を見ようとはしなかった。

母は女の人にお辞儀だけして

『早よ来なせ!』

と言った。

控え室に行ってみると祖母が

『こがな時こそお大師様のお力をお借りせんと』

と言って念仏を唱えており、ヒトミやミドリはシクシクと泣いていた。

父が

『どこ、行っとったんなら』

と俺に聞いた。

俺が

『集中治療室の前でおばさんとな、、、』

と言いかけると母が

『黙んなせ』

と俺の手を叩いた。

実伯父が

タカヒロさんよ』

と父を呼び、

『あの女な、正式な妻じゃぁないそうなぞ。

見たとこ、トシも上のようじゃし、

おそらく飲み屋の女かなんかじゃろ、、

そがなモンと乳繰りおうて、あげく、加重量のトラックを転がすじゃなんて、重ね重ね、ふざけた話じゃ』

といい、

『そうとわかったらあの女にはこっから先、口出しはさせん

さっそく保健屋と弁護士に頼んで、これでもかと言うほど慰謝料をふんだくってやらんと』

と息巻いた。

祖母も

『そうじゃそうじゃ

破産するくらい取っておやり』

と神妙な顔をして神仏のご加護を祈っていたのと同じ声音で言い切った。

俺はにわかにイライラし始め

『でもええオバさんじゃ

あのオバさん、あの寝とる人の事、愛してるで。

真剣な顔、しとった』

と言うと、母が

『コレ!』

といい、祖母と実伯父が

『真剣に愛しとんはこっちじゃって同じじゃ

そがな事を秤にかけてどうする!』

と息巻いた。

俺はなおも言募りたかったがヒトミとミドリが

『お母ちゃまをいたいいたいにした人やこ死んだらええんじゃ

なんでヨシヒロちゃんはそがな人の肩を持つ』

と泣き泣き抗議し、リエが

『それは自分の母親じゃないからよ

これがノブエおばちゃまじゃってごらん、

今の私ら以上に、あの人の事を罵っとるわよ。』

とシャラっと言った。

大人達はみんな黙ってしまった。

雨が降り始めた。

夕方まで小ぶりにふっていた雨だった。

どうやら例年より一足はやく梅雨入りしそうな雨の感じだった。

父が

『また降り出したで

ようふるの、、

雨で視界が悪かったんも美保子の事故の一因じゃ』

といい、

『おめぇ遅うならんウチにヨシヒロを連れてイネや(帰れ)』

と母に言った。

母は

『はぁ、、』

とため息のような返事を返したが俺の顔つきをみると

『そうですな

ほんならこのバカだけおいて、また来ますわ』

と答え、

『お母さん、なんかいるもんありますか?』

と聞いた。

祖母は

『アレとコレと』

と自室にあるものをのべた。

母は

『はいはい』

と承り、

『ほんなら行って参じます』

と言った。

誰も母に

『道が悪いんじゃけん、運転、気をつけなせぃよ』

と言うモノはいなかった。

祖母は、再度、唱名を唱え始め、ヒトミ達はその文言が涙を誘発するかの如くシクシクとやり始めた。

実伯父は

タカヒロさんよ、あんた、偽医者ん時、お世話になったあの弁護士な、役に立つか?

白を白、黒を黒、としか言わん、正義派はおえんぞな。

白でも黒、黒でも白、言える融通の聞くヤツじゃねいと』

と言い始めた。

俺は

『ふん!』

と鼻を鳴らすと、母より先に廊下に出て行った。

そして再度、集中治療室の前に行ってみた。

最前の女の人は塑像になったかのように最前と同じポーズで、そこに立っていた。

俺が

『さよなら』

と言っても女の人は振り向いてもくれなかった。