敗戦の日です。

日本が侵略戦争に負けた日です。

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1549年にポルトガルの帆船が種子島に漂着したことがきっかけで、日本と欧州との交易や交流がはじまりました。しかし半世紀たった後17世紀初めから日本は鎖国を始め、世界との交易や連絡を絶ちました。例外はオランダと中国で、それも長崎の出島でのみ許可されました。日本の内政が他の国からの干渉されることを恐れたからでした。でもこれは、15世紀半ばから始まっていた欧州各国の大航海時代(祖国から外へ航海して交易範囲を広め、各地を植民地にして彼らの勢力圏を拡大してゆく)の政策と正反対でした。今振り返ると、鎖国政策の結果 日本は欧州各国から遅れを取り 2世紀後に苦境に落ちた自らに気がつくことになりました。

この苦境に最初気がついたのは、オランダ発出島経由の書籍を読んでいた日本の知識人達でした。広いアジアが西から東へと次々に欧州諸国の植民地となり独立/自治権を失い、この波は日本のすぐ間近まで迫ってきていて、このままでは日本も同じ運命を辿ることになるリスクに気がついたのです。1853年に米艦隊が日本に来航し武力を示威して幕府に開国を迫った黒船来航事件は、このリスクが一部の知識人の考え過ぎではなく 目の前の現実の危険であることを多くの日本人に知らしめ、日本全体が大きな政策転向をする契機になりました。15年後の1868年に江戸幕府から政権を引き継いだ明治政府の主眼は、富国強兵 国を豊かにして軍備を備え強くし自力で独立を守ることでした。具体的な方法はすべて西洋社会から学び輸入しコピーし、まずは国内を刷新し整備しました。

次に、日本の安全保障の為に近隣諸国への干渉を始め、まず1879年に沖縄を併合しました。当時の日本が次に恐れていたのは最も近い陸地である朝鮮半島でした。西から東へと植民地を広げてきた欧州 または不凍港を求めて南下の機会をうかがっていたロシア帝国がここを乗っ取ったら、日本の安全保障の危機になるからでした。だから彼らが来る前に朝鮮半島への干渉を始めました。初めは武力は使わずに 彼らも日本のように富国強兵政策をとるよう勧めましたが、それがうまくいかないと武力による干渉を始めました。朝鮮半島の覇権を巡って中国を相手に日清戦争を1986年に始め、日本は勝って朝鮮半島に武力を駐在させることと台湾を植民地とすることを勝ち取りました。1905年には朝鮮半島を日本の保護国に、1910年には併合し、植民地支配を始めました。

■「終戦の日」に考える平和と軍縮 北朝鮮の脅威が増す中で

(THE PAGE - 08月15日 11:12)